晴れたすがすがしい一日は、東京は千代田区、九段下の靖国神社で過ごすに尽きる。
なんてことはあり得ない話であるが、今日の晴れ日に靖国神社に行ってきたということは事実である。行ってみて分かったのだがやはり愛国心だとか、そういう上辺だけの言葉では形容できない”日本人のみが分かる厳かさ”を感じることになる場所であるように思う。
そんな靖国神社に関して語られるのが合祀・分祀の問題と言うことになる。
これまた”べき論”は避けて客観的、辺縁的な部分から見るのであれば、こんなことが言えるように思う。
明治天皇の思し召しで、戊辰戦争において国のために戦ってはその命を落とした護国の英霊、彼らを祀るべく1869年”東京招魂社”は建てられた。その後1879年東京招魂社は”靖国神社”に名前を改めた。と同時に従来内務省の管轄にあったのだが陸軍省と海軍省に管轄が移った。しかしいずれの時もこの社の持つ形態上の特徴は言わずもがな、今で言う公官庁が運営する言わば”公営”であった。
そして戦後、政教分離の原則に従って靖国神社は単一宗教法人(単一、とは神社本庁に加盟しないことをさす)となった。
以上が靖国神社の経てきた歴史過程と言うことになる。で、個人的な意見になるのだが国外では韓国にせよ、国内では民主党の小沢党首にせよ、合祀・分祀と言う言葉を誤認して使っているように思う。A級戦犯の魂をどこか別のところに移す=分祀では無いのである。そもそも合祀とは”魂を共に(合わせて)祀る”という意味である。一本のろうそくに”英霊の魂を200万柱以上”込めた。その中にはよくないと近隣国から批判される魂(A級戦犯)が混ざっているから別のろうそくに火を移してくれ。
おや?おかしいぞ・・・ということになる。一度一つの炎としてまとまったものから何かを切り分けるなど、スポーツドリンクを一部水とその他に分けてコップに入れてくれ、と同じぐらい不可能なことなのだ。とすると本来の意味では分祀をする、ということは即ちA級戦犯のコピーを別所に作るということなのだ。
さらに言うならば靖国神社は宗教法人であり、非営利であるにせよ財団なのである。これに政教分離の原則、信教の自由と言うスパイスを加えれば、というかこうしてまでも分祀の正当性を唱えるものとは議論が打ち止めにならざるを得ない。
さて現実にタイムスリップして、分祀の正当性はそれ自体が語義矛盾を起こすと言う立場を取ってきたわけであるが小泉総理の参拝によって加熱する炎にはどう対処すれば良いのかと言う現実的な問題とのすり合わせは必ず出てくる。
しかしこの問題を解く、というのは不可能である。と言うのもいかようにでも態度を変えて、それがさも正等であるかのように妄信して、火に油を注ぐ近隣国の存在が”靖国問題”を”靖国問題”たらしめているからだ。少なくとも国内レベルでは合祀・分祀に対する客観的視点を失わず、する・しない、という水掛け論を控えることが重要になってくる。
どうしようもない日和見的な不良に正論は届かない。不良が年寄りになって、無茶が出来なくなるのを待つのが利口だ。最もそのときには新たな若い不良が台頭しているのであるが。