By The Day


”加齢”というコンセプト

実に幼稚な問いかけになるのかもしれないが「人は何故、年をとることを嫌がるの?」という問いが依然として、僕には大きなしこりとなって頭の中にどんと居座っている。というのも「もう二十歳だよ」とか「高校生の頃は若かったな」という30歳とか、実に多くの”加齢”というコンセプトに対するネガティヴな発言が耳に入っては通り抜けないからなのだ。

そもそも”加齢”は”コンセプト”では無く”自然現象”なのだという意見も受け入れなければなるまい。自然現象ゆえに不可避だから、卑屈になってそういう発言になるんだという意見もある。しかしそれは加齢が何故不可避ゆえに卑屈なのかということを説明基盤に持たない”机上の空論”なのだと思う。
僕は加齢というのはあくまでも”コンセプト”なのだと思う。ここで言う”コンセプト”とは概念的なものであって自然的な”肉体的老化”というのとは線を画す。年を一つ重ねることを”加齢”と概念的に捕らえたとき、僕はいかんともいえないような嬉しい気分になる。十九歳が二十歳になって合法的に飲酒や喫煙ができるときのそれとは全く違う、だ。一歳年が増えれば自分に一つの年輪が刻まれることになる。さらに年輪というのは木が生長していることの裏づけなのであってもし仮に、僕も年を重ねることで年輪が体内に刻まれるのなら当然それは僕が一年分成長したことを意味する。非現実的な発想なのかも知れないがこういうある種の危機意識は自分をすごくモチベートしてくれるし毎日が少しずつではあるが楽しくなる。

そんな僕も今日ばかりは緊張する。というのも今日は年輪が刻まれたかどうかの発表日なのだ。がしかし、ここが年輪の美しいところであると思うのであるが木は最後に切ってみないと年輪がいかなるものかは分からない。成長を辞めない木だからこそ切ったときに見える年輪は美しい。さて、一体今年はどういう年輪がどういう形で刻まれただろうか?また来年はどうだろうか?

こういう「自分に拘る」生き方を、それとなく僕に浸透させてくれたのは間違えなく他界したじいちゃんだ。何よりも自分を大切にし、それ故同じくらい他人を大切にできるすばらしい人間であり尊敬すべき男であった。今年の年輪を持ってまた来年、いずれは亡くなったじいちゃんと片を並べ、それ以上に美しい円形を堂々重ねたいものだ。
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by yu-yama0520 | 2006-05-20 02:22 | essay

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